たられば

「もしあの時、こうしていれば・・・」
「もしあの時、こうだったら・・・」
人生転げ落ち、右往左往しながら齢四十にして尚お一人様でいるKENは、最近までこの「たられば」を心の中で繰り返し唱えていた。
これは何も生き方だけについてではなく、パチンコなどのギャンブルに手を出していた時にもよく出ていた言葉だ。
「あそこで止めていたら・・・あそこで当たっていれば勝てたのに・・・」
人生についても同じ。
「あの時離婚していなかったら・・・あの時我慢して仕事をしていれば・・・」
人生もギャンブルも「たられば」を言い出す時は弱っている時だね。
そして「たられば」は負のスパイラルという弊害を生み出す。
「もしあの時、こうしていれば・・・」
「もしあの時、こうだったら・・・」
この言葉が多くなれば多くなるほど、次の一歩への妨げになってくる。
「また同じ過ちを繰り返すのでは」と考え、動きが鈍くなり停滞していく。
でもね、よく考えると、この「たられば」はオカシイんだよね。
ドコがオカシイのか?
だって「たられば」は実際には起こっていないことなんだもん。
「もしあそこで止めていたら・・・」ホントに勝てたのか?
「もしあの時我慢していたら・・・」ホントにその仕事で満足できたのか?
「もし」の「たられば」は全て頭の中での仮定の話なのに、いつの間にかそれらは成功体験のように自分の頭の中に存在し、自分を苦しめる。
そして、そんな時の行動は別の意味での「たられば」状態となる。
「明日になったらがんばろう、○○したら始めよう」
「機会があればしてみよう、時間が出来たらやってみよう」
禁煙に挑戦し始めた時もそうだったな。
「このひと箱を吸い終わったら止めよう」なんて。
永遠に止められないよね(笑)
そう気付いたボクは、あるときまだ中に沢山入っている状態のタバコの箱を握りつぶして禁煙を始めた。
「たられば」の障害を乗り切るのは行動なのだ。
明日になったら、時間が出来たら、そんな条件をクリアしないと、やりたい事が出来ないってのは言い訳だ。
なんてね、まだ時々「たられば」は頭をもたげてくるのだけれど、そんな時はその都度唱えるわけ。
「たられば」は過去のこと、過ぎた事。
実際には起きていないことなんだから、考えるだけ無駄。
だったら行動しよう、始めて見よう。
たとえ失敗をしても、それは経験。どんなあやまちを犯しても、それも経験。
そして経験はきっと自分を豊かにしてくれる、明日に繋げてくれる。
無理やりかな?
でもいいよね。
「たられば」君、さようなら。
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コメント

コメント一覧 (2件)

  • おっしゃる通りです。これ以上でも以下でも全く無いと思います。付け加えるべきことは一切無いですね。
    私も数え切れないほど、そのような経験をしました。言うまでもありませんが、過去には戻れないので、現時点から先の事をどうするかですよね。
    決断や行動を早くすることは、公私ともに重要な事だと認識しています。

  • ■koskenさん
    とは言うものの、振り返ってしまうんですよねぇ
    でも以前に比べたら、だいぶ前を向けてますかね
    ま、今は違う方向の決断や行動が早くなってしまってますが
    (;^_^A アセアセ・・・

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