もし認知症で何も分からなくなったら、もし意識はしっかりしていても寝たきりになったら、もし身の回りのことが何もできなくなって人に迷惑や負担を掛けてしまうようになったら
ボクはそうなる前に「死なせてほしい」と思っている
以前から漠然と考えてはいたけど、ココ最近強く感じるようになった
なんてガラにもなく重いタイトルと内容だけど
今回の「直腸がん」での手術・入院中に色々考えさせる出来事もあってさ
終活なんて事を考えるには少し早いけれど
ちょっと気になって橋田壽賀子さんの書いた「安楽死で死なせて下さい」って本を読んでみて、今回こんな投稿することに
きっかけはまず手術当日、術後の集中治療室での出来ごと
帝京大附属病院の集中治療室はオープンな作りになっていて、当日手術を行った患者さんはだいたい術後の夜を集中治療室で過ごすようになっている
隣の人だったのかな
痛みと麻酔の影響なのか寝れずに集中治療室の天井を見上げていると、おじいちゃんの声で
「警察を呼んでくれ!」
「死なせてくれ!」
なんて言葉が聞こえてきた
その度に看護婦さんがやってきて
「手術をしたのを覚えていますか?」
「ここは病院なんですよ、警察は呼べません」
「お父さんは手術をしたので動けません」
なんて言葉を掛けていた
痴呆か認知症の方だったのかな
ボク自身も時間の感覚が曖昧で定かではないのだけれど、そのおじいちゃんは一晩中叫んでいたような気がする
そして手術が終わって病室での出来事
術後1週間ほどして、差額ベッド代の掛からない一般病室に移動した際に同室だったおじいちゃん
ストーマが付いていたから、多分大腸がんを患った方だったんじゃないかな
寝たきりで、一人では起き上がることも出来ないおじいちゃん
リハビリの為にやってきた看護師さんには悪態をつき帰らせ、見舞いにくる奥さんらしき人には強い口調で「オレの言うことを黙って聞いて入ればいいんだよ!」なんて
そして看護婦さんに対しては、本人には言わないけど看護婦さんが去ったあとに「バカ看護婦が!」と
別にこの「おじいちゃん」を責めるわけじゃないんだ
寝たきりになり、カラダも自分では動かせず、日々病室の天井を仰ぐ毎日であったら、ボクも同じようにイライラして人に当たるかもしれない
ただ、二人のおじいちゃんの様子を垣間見て、ボクはそのとき思った
「自分のことが分からなくなってまで生きたくないな」
「人に当たり散らすようになってまで生きたくないな」
と
少し前にこんな投稿をした
天涯孤独を返上、とは言いつつも子供に掛けた迷惑や仕打ちを考えると、これから先彼らに負担になるような事は絶対にしたくない
ボクはなるべく誰にも迷惑を掛けることなく、ひっそり静かに死んでいきたいんだ
別に死に急いでいるわけではない
上で紹介した「安楽死で死なせて下さい」にも書いてあるのだけど
生きている間は(ココで言う「生きている間」とは生きている楽しさを実感出来ている間)、ちゃんと生きていたいと思ってるよ
死ぬまでは元気に生きたい
でも、もし生きている楽しさを実感出来ない状況に陥ったら、ボクは安楽死を選択したい
介護する側と、される側
お互い「生きていて欲しい」とか「生きていたい」と思うのは、凄く当たり前のことなんだけど
介護疲れによる殺人(ホントは殺人とは呼びたくないのだけれど)や、介護離職や老老介護の話題がニュース等に出てくるたびにボクは思う
「なにか解決する方法はなかったのか?選択肢の一つして安楽死があっても良かったのではないか?」
でも実際の話し、認知症や痴呆に関しては難しかもしれないね
延命措置を行わず、「平穏死」や「自然死」を宣言する「リビングウイル」なんて制度もあるけれど
「一般社団法人 日本尊厳死協会」より転載
たとえばボクの母のように「アルツハイマー」になってしまっては、少しずつ失われてゆく記憶のなか何処でソレを判断するのかという問題もある
お金の計算が出来なくなり、買い物に行っても買うものが分からなくなり、家事が出来なくなり、やがて自分の子供たちの名前も忘れてしまい、寝たきりになり施設へ
はたして当時母はどう思っていたのか?
日本ではそういった法整備は遅れているらしいけど、ボクが本気で終活を考える時ぐらいまでには世の中変わってくれるかな?
お一人様の死に様
ココまで書いた今でも、まだ漠然としか考えられないのだけれど
今回の「直腸がん」も含め、いつそういった事態に直面するかわからないのだから、その前にしっかり考えていきたいな
そうそう橋田壽賀子さん
「渡る世間は鬼ばかり」のイメージしかないけど(その「渡る世間は鬼ばかり」も見たことないけど^^;)、今回の本の中ではスゴく共感出来る部分が多かった
前半は自叙伝的な内容が多いけど、淡々と語る中にも「死」についての確固たる主張があって、考えさせられる内容だったな
安楽死に尊厳死
たぶん色々と議論しなければいけないことも多そうだけど、前向きに検討されることを切に願う